vol.15 上田 邦枝さん
2019年2月1日
昭和大学助産学専攻科で教授をされている上田邦枝先生にお会いしました(^^)
私の恩師です✨
卒業してから母校に来てなかったのでかなり久しぶりに校舎に入りました。
とても懐かしく、楽しいことも辛かったこともたくさんあったなぁ〜と少し思い出に浸り先生のところへ!
2人でゆっくり話すのは学生の時以来かも!
私がこういう活動をしていることをとても喜んで下さって、学生時代から私のことを知っている方に応援してもらえるのはとても嬉しいです😊✨
学生でなく、助産師として先生と話せる時が来るということは、学生時代は想像つかなかったけれど、1人の助産師として自分の考えを持てているのは自分が成長しているからなのかと思いました。
教員になる前は横須賀共済病院で助産師として働いていました。そこでプリセプター、主任など色々な経験をされ、教員の道に来たそうです。
👩🏫先生が教員となるきっかけ👩🏫
先生も私と同じ歳くらいで同じような悩みを抱えたことがあったそうです。
プリセプターや後輩指導の難しさを感じた時、教育を学ぶために1年休職。その後復職し、病院の教育方針を見直し。
そして、新人によってのレベルの違いを見ていると、基礎教育ってどうなってるんだろう?と疑問に思ったそうです。
当時主任をしていて、数年後には師長職に就くかもしれないという時期だったそうですが、ふと考えた時に、他を知らずにこのままずっと働くこ出来ないかもしれないと感じていたこともあり、病院を辞めて教員の道に進んだそうです。最初は小児母性の講師として学生に教えていたそうですが、実習など見ていて、1年生で学ぶ基礎看護はどういう教育をしてるんだろう?と疑問に思い、数年基礎看護学の講師も経験したそうです。
そしてある時、当時昭和大学の母性領域の教授から昭和大学に助産コースが出来るからと声がかかり昭和の講師に。
2009年に大学4年の中で助産師を取得するコースで、2012年に助産専攻科が出来ました。
上田先生は基礎が大事と言っていました。助産専攻科の1年間でしっかりエビデンスを踏まえたアセスメントが出来るようになる。学生だからではなく、学生だからこそ基本をしっかり学ぶことが大事。
確かに助学時代の記録の量は半端なく多くて…(どこの学校もそうかもしれませんが😅)
腱鞘炎になるんじゃないかと思うくらい記録書きました。実習では自分のアセスメントを突っ込まれる時は指導者さんに"このアセスメントの根拠は?"とよく言われ、その度に調べ直し、追加しを繰り返していたことを思い出しました。
当時はそんなにエビデンスエビデンスって言わなくてもいいじゃん!って思っていたけど、今後輩指導、学生指導を経験し、学生時代言われていたことの大切さを感じます。
また、上田先生は中学生を対象に性教育の公演もされています。
先生が当時勤めていた病院では、10代の妊娠が多く、中絶を希望する女性が多かったそうです。彼女たちは、子どもの相手が誰かわからないことも多かったそうです。そして、性行為することで、自分の存在価値を見出し、自分を満たしている人たちが多くいるということを知り、性教育に興味を持ったと言います。
現在では、中学校で1年間に約60件の性教育も行なっているそうです(^^)
今度同行させてください😊
指導をする立場になって、人に教えることの難しさを痛感しています。助産師教育を長年されている先生は本当に凄いなと思います。
学生の時は先生がいるのが当たり前で、講義があるのが当たり前でしたが、当たり前でないという事を社会人になって感じました。
講義ひとつでも資料を作るのに何時間もかかったり、どういう風に教えるか考えたり、学生の事をこんなに考えてくれていたんだなと思いました。
先生方は助産師として、直接お母さんや赤ちゃん達にケアを提供することが少ないかもしれませんが、助産師育成も助産師として大事な役割だなと話していて感じました。
上田先生お忙しい中お時間作って頂きありがとうございました🙇♀️